最終更新日2014年11月20日

亜欧堂田善 Aoudou Denzen

洋風画法を取り入れた銅版画の完成者

亜欧堂 田善 亜欧堂田善の本名は永田善吉といいます。亜欧堂はアジア(亜細亜)とヨーロッパ(欧州)をまたいで美術を学んだ画家ということです。

 田善は、寛永元年(1748年)に須賀川に生まれ、子供のころから絵を描くのが大好きでした。当時の白河藩主「松平定信」に認められ、江戸にきて数年のうちに、銅版画の技術を学び取りました。

 そのころ宇田川玄真という有名なオランダ医学者が「医範提綱」という大切な本を出版しましたが、この本には解剖図がありませんでした。田善は、玄真に銅版画による解剖図作成を依頼され、全部で52図を見事に完成させました。

 田善の挿絵をつけた「医範提綱」は江戸時代の医学を学ぶ人たちの間で広く読まれ、明治に至るまで何回も出版されました。

 田善は、遠近法、陰影法の洋風画法を取り入れて、精密、巧緻な表現方法で洋風銅版画を実現しました。
また、司馬江漢によって確立された洋風風景画に、江戸の風俗を加えた新しい風景を発見して洋風風景銅版画を完成させました。

 市立博物館所蔵の「太田貞喜の亜欧堂田善コレクション82点」は、昭和61年に県重要文化財に指定されています。 
 
 また、平成24年9月6日には、「銅版画東都名所図(二十五図)」と「銅版画見本帖(十二図)」の銅版画作品に加え、それぞれの作品の原板5枚が国の重要文化財に指定されました。