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日本三大火祭り「松明たいまつあかし」
  
日   時 平成22年11月13日(土) 午後6時30分〜 (大松明点火)
場   所 五老山(翠ヶ丘公園内
松明あかしが第7回ふるさとイベント大賞「優秀賞」を受賞しました!   

松明

 400余年の伝統を誇る「須賀川の松明あかし」は、毎年11月の第 2土曜日に開催されています。
会場となる五老山は、福島県では唯一、日本都市公園百選のひとつに選ばれている翠ヶ丘公園内にあります。

大松明
大松明

 当日は長さ10メートル、重さ3トンもある大松明を威勢のいい須賀川の若衆150人が担ぎ出し、街を練り歩きます。

 外国人も参加!
御神火隊

 須賀川城跡に建つ二階堂神社で奉受された御神火は、健脚を競う若者によって市内を一巡し、会場となる五老山へと向かいます。

小松明

 市民の手により小松明が会場へと向かいます。

松明太鼓の演奏

 平成元年に松明あかし400年を記念して創作された「松明太鼓」がはちまき姿の威勢の良い男女によって打ち鳴らされ行列を迎え入れます。

【松明あかしの由来】

 今から420年前の天正17年(1589年)6月、伊達政宗は、会津黒川城(若松城)城主芦名氏を滅ぼし、その余勢をかって須賀川城を攻撃しようと、密かに岩瀬地方西部の諸将に密使を遣わしていました。

 このときの須賀川城主は二階堂盛義の後室大乗院で、気丈な女城主であり、しかも政宗の伯母でもありました。 政宗が攻撃した会津黒川城主芦名氏は、また大乗院の嫡子である盛隆が城主をしていたこともあって、快しとしませんでした。

 政宗の計略に怒った二階堂家の家臣や領民たちは10月10日の夜、手に手に松明をともし、町の東の丘(十日山)に集まりました。そこで決死の覚悟で須賀川城を守ることを決議し、城主である大乗院に進言したのでした。

 同年10月26日、伊達政宗は大軍を率いて須賀川を東西に流れる釈迦堂川の北側にある陣場山(現須賀川桐陽高校)に本陣を構え、釈迦堂川を挟んで合戦の火ぶたが切られたのでした。

 しかし、前々から政宗に内通していた二階堂家重臣の守谷筑後守は、城本丸の風上にあった二階堂家の菩提寺・長禄寺に火を放ったのです。 火はたちまち四方に飛び火し、町中が火の海と化してしまったのです。須賀川城は火炎に包まれ、家臣の大部分は城と運命をともにして悲壮な最期を遂げたのでした。文治5年(1189年)から400年の長きにわたり、南奥羽の雄として権勢を誇った二階堂家、須賀川城も遂に落城してしまいました。 「松明あかし」は、この戦いで討ち死にした多くの人々の霊を弔うために行われるようになった行事です。

 昔は旧暦の10月10日に行われていましたが、現在は新暦の11月第2土曜日に五老山で行われています。

 この五老山は、天正9年、三春城主・田村清顕方と須賀川城主・二階堂盛義の老臣5人が和睦の交渉をしたことから、五老山と呼ばれるようになったところです。



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須賀川観光協会(市観光交流課内)
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