大きな自然石の碑が植栽に囲まれて立ち、隣に設けられた案内板や周囲の木々と東屋が見える真田植塚の写真

「奥の細道」の旅に出た松尾芭蕉(まつおばしょう)と河合曽良(かわいそら)の二人は、元禄2年(1689年)4月20日(陽暦6月7日)福島県に入り、22日に須賀川の俳人相楽等躬(さがらとうきゅう)に泊まりました。

芭蕉を迎えた俳人等躬の「白河の関いかにこえつるや」という問いに対して、芭蕉は「風流の初めやおくの田植えうた」と返句しました。その句が刻まれた句碑が田植塚です。

安政2年(1856年)市原多代女(たよじょ)によって池上町にある十念寺(じゅうねんじ)に建立されたものです。

多代女は、嘉永6年(1854年)の春、愛宕山で「終(つい)に行く道はいづくぞ花の雲」の辞世の句を得、「辞世集」を刊行します。同年、多代女の弟子たちは、辞世の句碑を十念寺に建立します。

多代女にとって、尊崇(そんすう)する芭蕉の句碑建立を果たす前に、自分の句碑が建ってしまったことは、自責の念にかられることでした。

そこで、多代女は手を尽くし、辞世の句碑の向かいに「田植塚」を建立しました。

指定・種類

市指定 有形文化財(歴史資料)

員数

1基

所在地

池上町

所有者等

十念寺

指定年月日

平成10年6月1日

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