市原たよ女 Ichihara Tayojo

生涯俳句の道に4千余りの作品を残す

大きな句碑の前に杖を突いた女性や2人の男性が立っている様子のイラスト

たよ女は、安永5年(1776年)に代々続いた大きな造り酒屋に生まれ、兄弟7人のにぎやかな幸福な家庭に育ち、行儀作法や勉強にも励んだ賢い少女でした。

たよ女が31歳のとき、夫の有綱が突然亡くなり、家を継いでいた たよ女は三人の小さい子供を育てながら家の問屋を切り盛りしなければなりませんでしたが、苦労が重なり、病気になってしまいました。

近所の俳人、石井雨考に俳句の道を勧められ俳句の道に入ることによって明るく健全な生活を取り戻し、熱心に俳句に取り組みました。数え年90歳で亡なくなるまで、4千余りの多くの作品を残し、「浅香市集」はその代表作の一つです。

文部省唱歌「藤の花」には、たよ女の俳句が載っており、この歌は大正元年から25年間全国の児童に歌い続けられ、たよ女の名が全国に知られていたことが分かります。

たよ女は80歳のとき、芭蕉が須賀川を訪れたときにつくった有名な俳句
「風流の 初めや奥の 田植えうた」という句碑を十念寺境内に建立しましたが、この句碑は全国にもめずらしい立派なもので、須賀川の誇りでもあります。