市の歴史・沿革

ページ番号1002499  更新日 令和2年3月12日

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須賀川市は、福島県のほぼ中央に位置し、国道4号を挟んで東西に伸び、市街地は南北に馬の背のように伸びた丘陵地に広がっています。西に那須連峰、東に阿武隈高地の山並みを望み、市内中心部を阿武隈川と釈迦堂川がゆったりと流れる、自然環境に恵まれたまちです。

その歴史は古く、旧石器時代の乙字ケ滝遺跡をはじめ、奈良・平安時代を代表する国指定史跡の上人壇廃寺跡など、古代からこの地が、東北地方の要衝として栄えていたことが分かります。
鎌倉時代以降は、二階堂氏の城下町として栄えましたが、天正年間、伊達政宗に攻められ、須賀川城は落城してしまいました。毎年、11月の第2土曜日に行われる日本三大火祭りのひとつ「松明あかし」は、このときの二階堂家の霊を弔うために行われてきた伝統行事です。
江戸時代、白河領となってからは、奥州街道屈指の宿場町として栄え、独自の町人文化も花開きました。俳諧も盛んであったため、松尾芭蕉は「奥の細道」の旅で須賀川宿に8日間も滞在しています。

明治元年、須賀川は戊辰戦争で大きな打撃を受けましたが、須賀川人の気風によって、明治の近代化に尽くし、新たな時代を築いていきました。明治9年に本町、中町、北町、道場町が合併し、須賀川村となり、同22年の町村制実施により森宿村の一部を合併して須賀川町となりました。
また、昭和29年3月、須賀川町と隣接する浜田、西袋、稲田、小塩江の4か村が合併し市制を施行、翌30年3月には仁井田村、昭和42年2月には大東村が合併し、平成17年4月に長沼町、岩瀬村との合併により、新しい須賀川市が誕生しました。

平成に入り、須賀川市は臨空都市として大きな変貌をとげました。平成5年に開港した本市東部に位置する福島空港では、北海道と大阪へ定期便が就航し、福島県の空の玄関として大きな役割を果たしています。また須賀川市は、東北縦貫自動車道須賀川ICがあり、東北新幹線へのアクセスが優れているなど、福島県内で最も高速交通条件に恵まれた地域となっています。

平成23年3月11日の東日本大震災では、須賀川市は甚大な被害を受け、尊い人命も失いました。震災からの復旧・復興、さらなる発展に向け全力で取り組んでいます。

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