「すかがわ俳句検定2023」解答編

ページ番号1015115  更新日 令和5年9月1日

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すかがわ俳句検定2023

「すかがわ俳句検定2023」にたくさんのご参加を頂き、ありがとうございました。

募集期間が終了したため、解答を公開します。

なお、全問正解の方には「合格証」が授与され、さらに、全問正解者の中から抽選で10名の方に景品をプレゼントします。

本検定が皆さまの「俳句のまちすかがわ」にゆかりのある人物や歴史に関する知識を深め、俳句に興味を持っていただくきっかけとなれば幸いです。

解答編(問1~問30)

問1

俳句のリズムは?

正解 575

俳句は575のリズムにのせてよむことが約束となっています。十七音字にこだわらない俳句(自由律)もあります。

問2

俳句は○○を一つ入れてよむことが約束となっています。○に入る言葉は何?

正解 季語

俳句は季語を一つ入れてよむことが約束となっています。季語を使わない俳句(無季)もあります。

問3

春の季語ではないものは?

正解 鯉のぼり

「鯉のぼり」は夏の季語です。5月5日は新暦では春ですが、旧暦では夏になります。

問4

夏の季語ではないものは?

正解 月

「月」は秋の季語です。月は四季それぞれに趣がありますが、最も美しいとされるのが秋の月と言われます。

問5

秋の季語ではないものは?

正解 熊

熊は夏(暖かい時期)に活動する動物ですが、俳句では冬の季語となっています。

問6

冬の季語ではないものは?

正解 茄子

「茄子」は夏の季語です。「茄子の花」も夏の季語です。

問7

芭蕉は何をした人?

正解 俳句をよんだ人

芭蕉は俳句をよんだ人。蕉風と呼ばれる芸術性の高い句風を確立し、俳聖(はいせい)と呼ばれていました。

問8

芭蕉が生まれたのは今の都道府県のどこ?

正解 三重県

芭蕉は伊賀国上野(三重県伊賀市)に生まれました。

問9

芭蕉の幼い頃の名前は何?

正解 金作

本名は松尾忠右衛門宗房。幼い頃の名は金作。「芭蕉」は俳号(俳人の愛称)。

問10

芭蕉は何人兄弟?

正解 6人兄弟

松尾与左衛門の二男として生まれました。兄、姉、妹が3人の6人兄弟。

問11

「芭蕉」は俳号(俳人の愛称)ですが、由来となった植物は何?

正解 バナナの木

芭蕉が住む草庵の庭に弟子からもらったバショウ(観賞用のバナナ もしくはバナナに似た多年草)が立派に育っていたことが由来になったと言われています。

問12

芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出たのは何年?

正解 元禄2年(1689)

芭蕉は元禄2年(1689)の3月27日に「おくのほそ道」の旅に出ました。

問13

芭蕉が「おくのほそ道」の旅を始めた地はどこ?

正解 江戸深川(えどふかがわ)

芭蕉は、草庵のある江戸深川(東京都)から「おくのほそ道」の旅を始め、東北・北陸をめぐり、岐阜県大垣まで旅をしました。

問14

芭蕉が「おくのほそ道」で一緒に旅をしたのは誰?

正解 河合曽良(かわいそら)

河合曽良(かわいそら)は、芭蕉の「おくのほそ道」に随行し、旅の詳細を日記に記録しました。

問15

芭蕉が「おくのほそ道」の旅をしたときは何歳?

正解 46歳

芭蕉は46歳の時、「おくのほそ道」の旅に出ました。

問16

「おくのほそ道」の旅は約何日かかりましたか? 

正解 約150日

芭蕉は約150日をかけて、全行程約600里(2,400キロメートル)を旅しました。

問17

「おくのほそ道」で、芭蕉が訪れていない東北の県は?

正解 青森県

芭蕉は「おくのほそ道」の旅で今の1都13県を訪れ、そのうちの5県が東北でした。

問18

芭蕉が「おくのほそ道」の旅の途中に訪れた阿武隈川の本流にかかる滝は?

正解 乙字ヶ滝

乙字ヶ滝は、阿武隈川唯一の滝です。芭蕉は「おくのほそ道」の旅で、須賀川から郡山へ向かう途中に立ち寄りました。

問19

芭蕉が須賀川にたどり着いたのは今の暦(こよみ)でいつ?

正解 6月9日

今の暦では6月9日、旧暦では4月22日です。

問20

芭蕉が訪れた時の須賀川はどんな町?

正解 宿場町

当時の須賀川は、奥州街道屈指の宿場町として栄え、町人文化も花開く活気に満ちたまちでした。

問21

芭蕉は須賀川の親交のあった豪商、○○○○を訪ねました。○に入る名前は?

正解 相楽等躬(さがらとうきゅう)

等躬は問屋業を営む豪商で、奥州俳壇の中心的人物。江戸をはじめ各地に広い人脈を持ち、芭蕉とは江戸出府の折に、俳諧を通して知り合った仲でした。

問22

芭蕉は須賀川に何日間滞在しましたか?

正解 8日間

芭蕉は「おくのほそ道」の旅の中で8日間須賀川に滞在しました。

問23

芭蕉は須賀川滞在の3日目、句会の席のあと、ある食べ物を振舞われました。その食べ物は?

正解 そばきり

芭蕉は俳席のあと、吉田等雲(よしだとううん)によるそばきりの振舞いを受けました。

問24

次の句は芭蕉が須賀川でよんだ句です。○にはいる言葉は何? 風流(ふうりゅう)の初やおくの○○うた

正解 田植

芭蕉と曾良は等躬を加え、三吟歌仙を巻きました。その時に芭蕉がよんだ発句がこの句でした。

問25

次の句は芭蕉が須賀川でよんだ句です。○にはいる言葉は何? 世の人の見付けぬ○や軒(のき)の栗

正解 花

可伸庵に出向いた芭蕉は、可伸(栗斎)のつつましい生活ぶりと人柄に深く心をうたれました。その時に芭蕉がよんだ発句がこの句でした。

問26

等躬の屋敷の一角に大きな木がありました。何の木?

正解 栗

相楽等躬の住む屋敷の一角には可伸庵があり、そこには大きな栗の木がありました。

問27

生涯俳句の道に4千余の多くの作品を残した全国的にも有名な須賀川の女流俳人は?

正解 市原多代女(いちはらたよじょ)

市原多代女(いちはらたよじょ)は、須賀川の造酒屋に生まれた江戸時代を代表する女流俳人です。十念寺に芭蕉の「田植唄」の句碑を建立しました。

問28

毎年11月の第2土曜日に須賀川五老山で行われる行事「松明あかし」(角川書店編「俳句歳時記 第5版」に掲載)はどの季節の季語?

正解 冬

平成30年(2018)11月24日、「松明あかし」が初冬の季語として俳句歳時記(角川書店)に収められました。

問29

毎年11月の第3土曜日に須賀川牡丹園で行われる天寿を全うした牡丹の古木を供養(くよう)する行事は?

正解 牡丹焚火

大正時代の初めに、俳人でもあった牡丹園園主が地元の親しい俳人たちを招いて行っていたものが今に受け継がれています。昭和53年(1978)「牡丹焚火」が初冬の季語として俳句歳時記(角川書店)に収められました。平成13年(2001)には環境省の「かおり100選」に選ばれました。

問30

2020年秋、俳句文化を中心とした多様な和文化を発信する場として開館した文化施設の名前は?

正解 須賀川市風流のはじめ館

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