県指定文化財等

ページ番号1002517  更新日 令和2年3月12日

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県指定史跡蝦夷穴古墳

えぞあなこふん

写真:蝦夷穴古墳


この古墳は、現在、墳丘裾部【ふんきゅうすそぶ】が削平されているため当時の形を留めていませんが、直径約36m、高さ約4~5mの円墳と考えられます。死者を埋葬する横穴式石室【よこあなしきせきしつ】は墳丘の南南東に開口(当時は埋葬後閉じる)しており、入り口から石室の奥壁まで約11mもあり、東北地方では最大級のものです。石材は凝灰岩で、奥壁の一枚と天井石の2枚は特に巨大で、当時の土木技術水準の高さをみることができます。石室からの出土品は明治時代の発掘により、金銅製頭椎大刀【こんどうせいかぶつちたいとう】をはじめ多数の副葬品が発見されたことから、当地方を支配していた有力な豪族の墓であったと考えられています。出土品は、現在東京国立博物館に収蔵されています。

県指定天然記念物古寺山の松並木

こでらさんのまつなみき

写真:古寺山の松並木


この松並木は、上小山田にある古寺山白山寺【こでらさんはくさんじ】の参道の両側に植栽されたもので、赤松の大木を主とし、杉の大木を若干混じえた並木です。ほとんどが目通り幹回り2~3m樹高20~25mで、最大のものは目通り幹回り4m、樹高30mもあり、樹齢は200~300年に達しています。これらの赤松は、樹肌が赤茶色で樹冠【じゅかん】は傘状【かさじょう】をなした見事なものばかりで、短い植栽間隔ながら赤松の並木としては高い評価を得ています。またこの松並木の付近には、鎌倉時代の板碑【いたび】が数基あり、当時の地方信仰の場としても重要です。古寺山自奉楽【こでらさんじほうらく】は、この松並木の参道を通って白山寺で奉納される郷土芸能です。

県指定天然記念物永泉寺のコウヨウザン

えいせんじのこうようざん

写真:永泉寺のコウヨウザン

概要

  1. 樹種 コウヨウザン
  2. 樹高 30メートル
  3. 目通り幹廻り 3.7メートル
  4. 推定樹齢 480年

特徴

コウヨウザンは中国南部を原産地とする亜熱帯性の植物で、本邦に植栽されたもののうち傑出した大木であり、東北地方では非常に珍しい植物である。
永泉寺の第3世心繰全忠大和尚が永正13年(1516)に当寺に入山のおり、四国より持参したと伝えられています。

県指定天然記念物古舘のサクラ

ふるだてのさくら

写真:古舘のサクラ

概要

  1. 樹種 エドヒガンのシダレ
  2. 樹高 17メートル
  3. 根回り 5.9メートル
  4. 目通り幹廻り 4.4メートル
  5. 推定樹齢 450年

開花時期

4月上旬

特徴

エドヒガンのシダレとしては福島県内有数の巨木で、満開時には樹全体が白色に近いピンク色の花で覆われます。
この樹の根本に不動尊が祀られていることから、不動桜とも呼ばれています。
また、古くからこの桜が咲き出すのを見て土地の農家が播種作業に入ったことから、別名「種まき桜」とも呼ばれています。

県指定天然記念物護真寺のサクラ

ごしんじのさくら

写真:護真寺のサクラ

概要

  1. 樹高 エドヒガンのシダレ
  2. 樹高 15メートル
  3. 根回り 5.8メートル
  4. 目通り幹廻り 4.2メートル
  5. 推定樹齢 450年

開花時期

4月上旬

特徴

観応2年(1351)に本禅等択禅師によって護真寺が開山された折りに植えられたと伝えられています。
満開時には、老樹を覆う赤みがかった淡いピンク色の花は、まるで一服の画のような趣を見る人達に伝えています。
近年、この桜の木を管理している檀家の皆さんの手により境内整備が行なわれており、隠れた桜の名所として注目されています。

県指定重要文化財(工)石造双式阿弥陀三尊来迎供養塔

せきぞうそうしきあみださんぞんらいごうくようとう

写真:石造双式阿弥陀三尊来迎供養塔


この供養塔は、鎌倉時代の末法思想【まっぽうしそう】の影響を受け、阿弥陀如来【あみだにょらい】を信仰し極楽往生【ごくらくおうじょう】を願う目的で建立されたものです。板状の石面の中央部から二つに分け、それぞれに三尊仏を浮彫にしています。中尊【ちゅうそん】に阿弥陀如来、向かって右側には蓮台【れんだい】を捧げた観音菩薩【かんのんぼさつ】、左側には合掌する勢至菩薩【せいしぼさつ】が脇侍【わきじ】として飛雲【ひうん】に乗り、死者を西方【さいほう】の極楽浄土【ごくらくじょうど】に導いてゆく状態を表しています。仏はすべて立ち姿で飛雲に乗っていることから、一刻でも早く極楽浄土へ行きたいという当時の人々の願いがあらわれていると考えられます。

県指定重要文化財(考)双式浮彫阿弥陀三尊来迎供養塔

そうしきうきぼりあみださんぞんらいごうくようとう

写真:双式浮彫阿弥陀三尊来迎供養塔


この供養塔は、幅約1.4m、高さ約1.3mで碑面を中央で左右に分け、左右それぞれの面に阿弥陀如来【あみだにょらい】を中心に左に勢至菩薩【せいしぼさつ】、右に観音菩薩【かんのんぼさつ】の三尊が浮彫にされています。左側の三尊仏は死者を弔う追善供養【ついぜんくよう】、右側は生前に往生を願う逆修供養【ぎゃくしゅうくよう】として建立されており、いずれも立ち姿で飛雲に乗り、一刻でも早く成仏したいという人々の願いがあらわれています。
三尊仏の勢至菩薩が持つ長い柄のついた天蓋の図柄や建立目的を示す銘文、「嘉元三年(1305)乙巳九月廿五日相当三十五日」年記など鎌倉末期の当地方での阿弥陀信仰を示す貴重な資料です。

県指定重要無形民俗文化財古寺山自奉楽

こでらさんじほうらく

写真:古寺山自奉楽


大字上小山田に伝承されている民俗芸能です。自奉楽は寺法楽のことで、上小山田にある古寺山白山寺に奉納される踊りで、宝暦【ほうれき】2年(1752)、当時の白山寺住職清光和尚【せいこうおしょう】が荒廃した寺の再建を志し、村の子供を集めて踊りを仕立て、村々からの浄財を集めた時の踊りがはじまりといわれています。この踊りは、平鍬【ひらぐわ】踊り、田植踊り、獅子舞【ししまい】の三部構成で、踊り子は8歳~14歳ぐらいの少年少女約50人からなり、男子は奴【やっこ】、女子は早乙女【さおとめ】といいます。奉納は33年毎の旧3月10日に行われていますが、毎年旧正月2日に唄い初めが行われています。

県指定重要有形民俗文化財関下人形

せきしたにんぎょう

写真:関下人形


大字仁井田字関下の民家の土蔵と区の郷倉【ごうぐら】から江戸時代に流行した人形芝居の「操【あやつり】人形」がたくさん発見され、この関下人形は、人形の首【かしら】85点、肩板、手足、胴55点、衣裳82点などで、人形の首は桐【きり】と槍【ひのき】で作られ、目、口、眉が動くようになっ ています。また、頭部の鬘【まげ】はキリで穴をあけて毛を植えた「植毛【うえげ】」という方法で作られています。当時関下村には「結城座【ゆうきざ】」という人形芝居一座が結成され、県内各地を主として興行し、村を挙げて維持振興に努力したことが古文書【こもんじょ】によって知ることができます。しかし、時代の流れとともに、大正12年~13年ごろ芝居の幕を閉じてしまいました。

県指定重要文化財(工)桐文木彩漆笈

きりもんもくさいうるしおい

写真:桐文木彩漆笈


室町時代の修験者【しゅげんじゃ】などが用いた箱笈(仏具・衣服・食器などを入れて背に負う箱)で、大きさは柱高75.8cm、間口69.3cm、奥 行35.5cmです。物を入れる部分は三段造りで、扉は三段とも観音開きになっており、脚は前面部の二脚だけという珍しい構成です。扉両側の羽目板【はめいた】に桝形格子【ますがたこうし】の地文【じもん】を彫り、花先【はなさき】風の刳形【くりがた】を横連子【よこれんじ】に扱った鎌倉彫り式の彫刻が施されています。扉にはそれぞれ丸い輪郭をとり、その中に桐文を彫刻し金箔を押すといった格調高いものです。総体は黒漆塗りですが、柱の削面【そぎめん】、地文【じもん】、刳形【くりがた】の部分は朱漆が塗られています。この笈はもと清水山行法寺に伝えられたものです。

県指定重要文化財(彫)木造宝冠釈迦如来坐像

もくぞうほうかんしゃかにょらいざぞう

写真:木造宝冠釈迦如来坐像

概要

  1. 像高 43.2センチメートル
  2. 時代 鎌倉時代

特徴

ヒノキ材、寄せ木造り、玉眼、彩色の小像で、金属製の宝冠、瓔珞【ようらく】をつけています。
顔は卵形で、眉を寄せ、目を吊り上げ、生々しい人間的な表現を呈しており、耳朶は割合太く張りがあります。
なで肩で、猫背で腹帯をつけるなど、後期宋朝様式の影響を残しており、護真寺開山の頃に移入されたものと思われます。
また、両袖、すそ先を長くたらし垂下様式になっていることや、衣ひだには、菊花、唐草、鳳凰の胡粉を盛り上げて作った模様が付いているなど装飾性が強いことから、鎌倉からの移入品と思われます。

県指定重要文化財(絵)絹本著色亜欧堂田善画像

けんぽんちゃくしょくあおうどうでんぜんがぞう

絵画:亜欧堂田善


亜欧堂田善(本名 永田善吉【ながたぜんきち】)は、寛延【かんえん】元年(1748)須賀川に生まれ、洋画と銅版画を学び、我が国の初期洋風画に大きな影響を与えた芸術家で、当時の白河城主松平定信【まつだいらさだのぶ】公のおかかえ絵師として活躍した人です。この画像は文政【ぶんせい】5年(1822)田善の弟子である曙山田一【しょざんでんいち】(遠藤田一)によって描かれたもので、画像の右上に「文政5壬午年亜欧堂□曙山田一字如洋謹写」と書かれています。田善は文政5年5月7日に亡くなっていることから、この画像は田一が師を追慕するために描いたものと思われます。田善の墓は、市内長禄町の長禄寺【ちょうろくじ】にあります。

県指定重要文化財(絵)太田貞喜の亜欧堂田善コレクション

おおたていきのあおうどうでんぜんコレクション

銅版画:太田貞喜の亜欧堂田善コレクション


このコレクションは、昭和51年に医師太田宏一【おおたこういち】氏から須賀川市に寄贈されたもので、宏一氏の祖父貞喜【おおたていき】氏が田善の銅版画を郷土の誇りとして、私財を投じ散逸を防ぐために収集したものです。全国的にみても質・量的に高い資料価値があり、我が国の初期洋風画を研究する上で欠くことのできない作品群です。主な作品には、銅版原版の洋人曳馬図をはじめ、銅版画の大日本金竜山図・品川月夜図・西洋帆船図などがあり、西洋の画法である遠近法をたくみに取り入れた立体感のある作品は、繊細で緻密な作風と相まって見事な芸術作品となっています。(写真は榎坂溜池之景)

県指定重要文化財(歴)白河・石川・岩瀬・田村・安積・安達六郡絵図

しらかわ・いしかわ・いわせ・たむら・あさか・あだちろくぐんえず

白河・石川・岩瀬・田村・安積・安達六郡絵図


正保【しょうほ】年間(1644~)、幕府は諸国の地勢を把握するため諸大名に命じて領国の村境・山・川・街道などを詳細に書き込んだ国絵図【くにえず】を提出させました。六郡絵図は、この時期に作成された国絵図の一部を写したものと考えられています。この絵図は縦2m、横4mの大きさで二つに分けられそれぞれ軸装されていますが、本来は縦2m、横8mの大きさだったと考えられます。作者、出所などは不明ですが、寛文【かんぶん】12年(1672)、二本松領と米沢領との境界が不明確なので幕府の判断を仰ぐ旨の記述があることから、境界争いの際の資料として使用されたことがわかります。

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